シリマヴォ・バンダラナイケ (Sirimavo Ratwatte Dias Bandaranaike、1916年4月17日 - 2000年10月10日)は、スリランカの政治家。
夫で首相だったソロモン・バンダラナイケ暗殺後、政界に身を転じた。
世界初の女性首相であり、1960年-1965年、1970年-1977年、1994年-2000年の3度首相に登板した。外交政策は親ソ連であった。中国の協力で後にコロンボ最大の会議場として多くの重要な会議が行われるBMICHバンダラナイケ記念国際会議場が建設される(そのため、毛沢東像がある)。
第5代スリランカ大統領チャンドリカ・クマーラトゥンガは娘。
敬虔な仏教徒が多く、慎み深く教養の高い国民性。小学校、中学校は学費が無料で、識字率も高い。 一方、観光地化されて久しく、欧米からサーファーやヒッピーが集まるビーチということで、観光地にいるスリランカ人についてはその限りではない。
西部ビーチリゾートなどでは、10年ほど前のバリ島などと酷似したジゴロによる被害が多発している。女性サーファーやバックパッカーなどが、現地のサーファーに麻薬を勧められたり物をねだられたり、ベッドを共にするようなことが頻繁に起こっているようである。開放的で長期滞在している欧米人の真似をして現地の人と必要以上に親しくなると、このような被害に遭うので注意が必要である。スリランカでは、麻薬の所持、使用は違法である。
スリランカは海洋国であるため、魚の煮込み料理が多く、豊富なスパイスで味付けをしたものが一般に、「カレー」と呼ばれている。魚以外では、ダール豆やジャックフルーツ、野菜、鶏肉、牛肉も使われる。
スリランカカレーの特徴として
o ココナッツミルクを多用して味をマイルドに仕上げる傾向が強いこと
o 海洋国であるため新鮮な魚介類のカレーが多いこと。
o 鰹節によく似た、魚の干物であるモルジブ・フィッシュを利用して、うまみを持つ出汁を取ることがある
o 米飯がセットとなることが多い。(インドではナンまたはチャパティが多い
o ホッパー(米の粉で作るパンの一種)、ストリングホッパー(米粉の細い麺、イディアッパ)も利用する
作り方(鶏肉カレー)
1. まずスパイスを石臼で挽く。スパイスは生スパイスを用いる。石臼は一般的な家庭にもあり、新鮮な生スパイスを利用することが多い。
2. 鶏肉にスパイス類をすりこむ。
3. 油を熱してタマネギを炒め、鶏肉を入れる。火が通ったらモルジブ・フィッシュ(かつお節に似た塩けの多い干し魚)とスープ、ココナッツミルクを入れて煮る。
「獅子の山」を意味するシギリヤはスリランカ中央部の古代遺跡。カシャパ王(King Kasyapa、西暦477 - 495年)時代の宮殿跡がある。
シギリヤ岩は火山マグマが固まったもの。
形状は楕円柱、高さは370m、全方位垂直或は、上部が張り出している。
岩の窪みを利用した有名な壁画「シギリヤ・レデイー
スリランカ美術の白眉で、元々は、幅140m×高さ40mにわたって、岩山の壁面に描かれていたそうですが、今は断片が残るだけです。粘土、磁土、椰子の繊維を混ぜたもので下地をつくり、漆喰を塗り上げた上に、樹脂を混ぜた顔料で描いたテンペラ画です。スリランカ人だけでなく、中国人や黒人も描かれているらしく、空を舞う天女と書いている本もあります。
1800年前に描かれたとは思えないほど、鮮やかでリアルな描写です。

聖地アヌラダープラにある記録が残っている世界最古の木。
これはゴータマ・シッダッタがその木の根元に座っているときに光明を得たと言われるゴータマ・ブッダの菩提樹から、挿し木によって育てられた二代目の菩提樹。
この木は、Sri Maha Bodhi と呼ばれている。Sriは敬称で、Maha は偉大な(または真の)、Bodhi (漢語音訳: 菩提)は目覚めたる者の意味で、Bodhiはゴータマ・ブッダの別名のひとつである。

スリランカでは、古代から岩山を信仰の場としてきた。修行僧の瞑想の場は、2000年の時をかけて掘り広げられ、5つの石窟からなる寺院へと変貌する。そこは、180mの岩の塊全体が、仏教の聖地だ。
ここにある160体もの仏像ほとんどが、ブッダの像である。如来や菩薩など、様々な仏を生み出した大乗仏教と異なり、スリランカに伝わった上座仏教は、ブッダその人だけに篤く帰依するからだ。
壁から天井へと、洞窟を埋め尽くす壁画もブッダである。古い時代の絵が薄くなると、上から漆喰を塗り、新たな絵を描いた。絵師たちは、今もその作業を無償でつづけている。そこには、古いもの残すことだけが伝統ではないと言う、信仰心がある。
釈迦は苦行を捨て、瞑想にふけり悟りを得ることで、「目覚めた人」ブッダとなった。今も森林僧侶たちは、ひたすら釈迦にならい、人里はなれた森で227の戒律に従いながら、修行の日々を送る。それは、仏教誕生当初の信仰の姿を彷彿とさせるものだ。

ゴール(Galle)は、スリランカの南西の先端である都市で、南部州の州都である。
世界自然遺産のシンハラジャ森林保護区にほど近く、自然に囲まれた街である。
人口は90.934人(2001年)で、スリランカの主要都市となっている。
日本語では、ガル、ギャルとも表記される場合がある。
2004年に起きたスマトラ島沖地震の津波で被害を受けた。

キャンディはスリランカ中部州の州都。16世紀後半に栄えたシンハリ朝最後の都である。
人口は約11万人。またスリランカ中部では最大の都市部で、地域経済の中心地でもある。
仏教の聖地として、1988年に、「聖地キャンディ」の名前で、ユネスコ世界遺産に登録された。
仏陀の犬歯があるとされる仏歯寺(ダラダー・マーリガーワ寺院)がある。

ポロンナルワ(英語:Polonnaruwa、タミル語:பொலன்னறுவை)はスリランカ中部の古都。1017年から1255年までスリランカの首都であった。
1017年、南インド・タミル系のチョーラ王朝がランカ島の大勢を支配したことを受け、シンハラ王朝は首都をアヌラダープラからポロンナルワに遷都した。シンハラ王のウィジャヤバーフ1世(Vijayabahu I)はその後チョーラ王朝を1070年に追放した。その後、ウィジャヤバーフ1世の孫にあたるパラークラマ・バーフ1世(Parakrama Bahu I)が首都構築に大きく貢献した。彼の治世の間、ポロンナルワは王の庇護の元、交易と農業が栄え黄金時代を迎える。特に、灌漑設備の充実に努め、国の東部地域で乾季でも農耕可能にした。彼は農耕と防衛の両方の目的で、首都の周囲にパラークラマ・サムドゥラ(パラークラマ海)と呼ばれる巨大な灌漑用貯水池を建設した。この時代、首都は自給自足の体制を保った。
しかし、その後王位についたニッサンカ・マーラ1世(Nissanka Malla I)を除くポロンナルワの王族はすべて保身に注力し、南インドの王侯貴族の支持を求めたため、スリランカ独自の王朝の力は衰え、南インドのカリンガ王朝マーガ王による1214年の侵攻を招き、1284年にはアーリャ・チャカラヴァルティー(Arya Chakrawarthi)の侵攻と続き、結果的には南インドのパーンディヤ朝に権力を委譲することになった。1232年に首都はダンバデニヤ(Dambadeniya)に遷都された。1255年シンハラ王朝はポロンナルワを放棄した。
今日、古都ポロンナルワはスリランカ随一の考古学上の史跡として維持され、シンハラ王の治世をしのぶものとなっている。古都の美しさは、デュラン・デュランの1982年のミュージックビデオ「Save a Prayer」で撮影されている。
ポロンナルワは現在、北中部州第二の都市で、スリランカで清潔で美しい町として知られる。自然に囲まれた環境や古都の建築、パラークラマ・サムドゥラ(パラークラマ海)等が観光客を魅了している。歴史的にはポロンナルワは一年のほとんどが熱帯性の気候で、12月と1月のみ肌寒い日がある程度だったが、近年の環境変化で冬季の雨や低温の日が増加している。
古都ポロンナルワはユネスコ世界遺産に登録されている。
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