ライス・アンド・カレー

スリランカは海洋国であるため、魚の煮込み料理が多く、豊富なスパイスで味付けをしたものが一般に、「カレー」と呼ばれている。魚以外では、ダール豆やジャックフルーツ、野菜、鶏肉、牛肉も使われる。
スリランカカレーの特徴として
o ココナッツミルクを多用して味をマイルドに仕上げる傾向が強いこと
o 海洋国であるため新鮮な魚介類のカレーが多いこと。
o 鰹節によく似た、魚の干物であるモルジブ・フィッシュを利用して、うまみを持つ出汁を取ることがある
o 米飯がセットとなることが多い。(インドではナンまたはチャパティが多い
o ホッパー(米の粉で作るパンの一種)、ストリングホッパー(米粉の細い麺、イディアッパ)も利用する
作り方(鶏肉カレー)
1. まずスパイスを石臼で挽く。スパイスは生スパイスを用いる。石臼は一般的な家庭にもあり、新鮮な生スパイスを利用することが多い。
2. 鶏肉にスパイス類をすりこむ。
3. 油を熱してタマネギを炒め、鶏肉を入れる。火が通ったらモルジブ・フィッシュ(かつお節に似た塩けの多い干し魚)とスープ、ココナッツミルクを入れて煮る。

シギリヤ

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「獅子の山」を意味するシギリヤはスリランカ中央部の古代遺跡。カシャパ王(King Kasyapa、西暦477 - 495年)時代の宮殿跡がある。
シギリヤ岩は火山マグマが固まったもの。
形状は楕円柱、高さは370m、全方位垂直或は、上部が張り出している。

岩の窪みを利用した有名な壁画「シギリヤ・レデイー
スリランカ美術の白眉で、元々は、幅140m×高さ40mにわたって、岩山の壁面に描かれていたそうですが、今は断片が残るだけです。粘土、磁土、椰子の繊維を混ぜたもので下地をつくり、漆喰を塗り上げた上に、樹脂を混ぜた顔料で描いたテンペラ画です。スリランカ人だけでなく、中国人や黒人も描かれているらしく、空を舞う天女と書いている本もあります。
1800年前に描かれたとは思えないほど、鮮やかでリアルな描写です。

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世界最古の木

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聖地アヌラダープラにある記録が残っている世界最古の木。
これはゴータマ・シッダッタがその木の根元に座っているときに光明を得たと言われるゴータマ・ブッダの菩提樹から、挿し木によって育てられた二代目の菩提樹。
この木は、Sri Maha Bodhi と呼ばれている。Sriは敬称で、Maha は偉大な(または真の)、Bodhi (漢語音訳: 菩提)は目覚めたる者の意味で、Bodhiはゴータマ・ブッダの別名のひとつである。

ダンブッラの黄金寺院

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スリランカでは、古代から岩山を信仰の場としてきた。修行僧の瞑想の場は、2000年の時をかけて掘り広げられ、5つの石窟からなる寺院へと変貌する。そこは、180mの岩の塊全体が、仏教の聖地だ。

ここにある160体もの仏像ほとんどが、ブッダの像である。如来や菩薩など、様々な仏を生み出した大乗仏教と異なり、スリランカに伝わった上座仏教は、ブッダその人だけに篤く帰依するからだ。

壁から天井へと、洞窟を埋め尽くす壁画もブッダである。古い時代の絵が薄くなると、上から漆喰を塗り、新たな絵を描いた。絵師たちは、今もその作業を無償でつづけている。そこには、古いもの残すことだけが伝統ではないと言う、信仰心がある。

釈迦は苦行を捨て、瞑想にふけり悟りを得ることで、「目覚めた人」ブッダとなった。今も森林僧侶たちは、ひたすら釈迦にならい、人里はなれた森で227の戒律に従いながら、修行の日々を送る。それは、仏教誕生当初の信仰の姿を彷彿とさせるものだ。

ゴール

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ゴール(Galle)は、スリランカの南西の先端である都市で、南部州の州都である。
世界自然遺産のシンハラジャ森林保護区にほど近く、自然に囲まれた街である。
人口は90.934人(2001年)で、スリランカの主要都市となっている。
日本語では、ガル、ギャルとも表記される場合がある。

2004年に起きたスマトラ島沖地震の津波で被害を受けた。

キャンディ

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キャンディはスリランカ中部州の州都。16世紀後半に栄えたシンハリ朝最後の都である。
人口は約11万人。またスリランカ中部では最大の都市部で、地域経済の中心地でもある。

仏教の聖地として、1988年に、「聖地キャンディ」の名前で、ユネスコ世界遺産に登録された。
仏陀の犬歯があるとされる仏歯寺(ダラダー・マーリガーワ寺院)がある。

ポロンナルワ

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ポロンナルワ(英語:Polonnaruwa、タミル語:பொலன்னறுவை)はスリランカ中部の古都。1017年から1255年までスリランカの首都であった。
1017年、南インド・タミル系のチョーラ王朝がランカ島の大勢を支配したことを受け、シンハラ王朝は首都をアヌラダープラからポロンナルワに遷都した。シンハラ王のウィジャヤバーフ1世(Vijayabahu I)はその後チョーラ王朝を1070年に追放した。その後、ウィジャヤバーフ1世の孫にあたるパラークラマ・バーフ1世(Parakrama Bahu I)が首都構築に大きく貢献した。彼の治世の間、ポロンナルワは王の庇護の元、交易と農業が栄え黄金時代を迎える。特に、灌漑設備の充実に努め、国の東部地域で乾季でも農耕可能にした。彼は農耕と防衛の両方の目的で、首都の周囲にパラークラマ・サムドゥラ(パラークラマ海)と呼ばれる巨大な灌漑用貯水池を建設した。この時代、首都は自給自足の体制を保った。

しかし、その後王位についたニッサンカ・マーラ1世(Nissanka Malla I)を除くポロンナルワの王族はすべて保身に注力し、南インドの王侯貴族の支持を求めたため、スリランカ独自の王朝の力は衰え、南インドのカリンガ王朝マーガ王による1214年の侵攻を招き、1284年にはアーリャ・チャカラヴァルティー(Arya Chakrawarthi)の侵攻と続き、結果的には南インドのパーンディヤ朝に権力を委譲することになった。1232年に首都はダンバデニヤ(Dambadeniya)に遷都された。1255年シンハラ王朝はポロンナルワを放棄した。

今日、古都ポロンナルワはスリランカ随一の考古学上の史跡として維持され、シンハラ王の治世をしのぶものとなっている。古都の美しさは、デュラン・デュランの1982年のミュージックビデオ「Save a Prayer」で撮影されている。

ポロンナルワは現在、北中部州第二の都市で、スリランカで清潔で美しい町として知られる。自然に囲まれた環境や古都の建築、パラークラマ・サムドゥラ(パラークラマ海)等が観光客を魅了している。歴史的にはポロンナルワは一年のほとんどが熱帯性の気候で、12月と1月のみ肌寒い日がある程度だったが、近年の環境変化で冬季の雨や低温の日が増加している。

古都ポロンナルワはユネスコ世界遺産に登録されている。

アヌラダープラ

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アヌラダープラは、スリランカ北部の町。過去スリランカの首都であった。

最初に首都になったのは紀元前380年で、数度、首都が移されたことがあったが、すぐにアヌラダープラに戻され、ほぼ1000年間に渡ってスリランカの首都であった。

ゴータマ・シッダッタがその木の根元に座っているときに光明を得たと言われるゴータマ・ブッダの菩提樹から、挿し木によって育てられた二代目の菩提樹が、現在も健康な状態で生きている。この木は記録が残っている世界最古の木であるとされる。この木は、Sri Maha Bodhi と呼ばれている。Sriは敬称で、Maha は偉大な(または真の)、Bodhi (漢語音訳: 菩提)は目覚めたる者の意味で、Bodhiはゴータマ・ブッダの別名のひとつである。

仏教伝来時の首都であったため、当時の遺跡を多く残している。アヌラダープラは、新しい町と古代の町に分けられており、遺跡群は保護されている。巨大なストゥーパが散在しており、アヌラダープラのストゥーパはスリランカでは一般的な半球状の構造になっている。石または煉瓦で作られている。

最大のストゥーパは、紀元前1世紀に作られたアヤバギリ・ダゴバ(Abhayagiri Dagoba)で、現在でも75メートルの高さがあるが、建築当時はその周囲に半球状の屋根を含む構造があり高さは100メートルあったと言われる。周囲には5000人の僧が生活した僧院があった。

仏教が伝えられたのは紀元前247年の事であり、当時、仏教を伝えた僧は北東に17キロメートル離れたミヒンタレ(Mihintale)の丘に暮らした。

人工の湖または池が散在し当時の生活レベルの高さを知ることができる。これらの湖は農業用や生活用の水として使われた。インドで農業による自然の破壊が進んだ後にスリランカは開発されたためか、インドでの教訓を受けて自然との調和が考えられている。アヌラダープラが首都であった時期の紀元前に指定され、現在にも引き続けられている大きな自然の保護区が、スリランカ全域に多く存在し、保護区では人間の生活の活動は許されていない。

産業などは(●ゝェ・)ノ

主要な産業は、農業と繊維産業である。主要な農作物として、茶、ココナッツ、天然ゴム、米などが生産されている。近年工業化の進展と共に繊維産業が発達し、衣料品が最大の輸出品目となっている。
2004年12月のスマトラ島沖地震による津波では3万人以上が死亡するなど、海岸部に大きな被害があり、また民族紛争の再燃もあって観光業などが悪影響を受けている。
畑作中心である。特に茶の生産が盛んで世界生産量第3位であり、セイロンティーと呼ばれ、名産品である。しかし、この茶栽培は、虫害によって壊滅的打撃を受けたコーヒー栽培の代替であったことはあまり知られていない。

気候

気候は熱帯性であり高温多湿で、海岸部・低地では年平均気温26°C。
高地では気候は冷涼である。ヌワラエリア(標高約1890m)では
年平均気温16°Cと一年中常春のような気候である。
ほとんどの地域は5月~10月が多雨期で、北部・北東部では
12月の多雨期を除いては乾燥している。モンスーンの影響が強い。